【データで確認】初心者→ランニング歴1年半でどれだけ成長したか 

2020/04/22

ランニング

t f B! P L
こんにちは。

本稿では、私がランニングを開始した2018年9月~現在(2020年4月)までの月別走行距離を確認し、これまでの歩みを振り返ります。

余談ですが、今の私の基本方針は「気持ちよく走る」こと。
今は走ることがとても楽しい。けれど、初めはそうではなかった。

まずは走行距離の推移を見ていく。

走行距離

ランニング開始  (2018年9月~) 

図1.月別走行距離(2018年9月~2019年4月)

図1は、私がランニングを開始した2018年9月~2019年4月までの走行距離である。
見ればわかるが、初月が最高値で、そのあと見事に右肩下がりとなっている。
熱しやすくて冷めやすい私の性格を、データがしっかり物語っている。

当時は、なんとなくスタートして、疲れたらペースを落としてだらだらと走っていた。
「しんどい・・・しんどい・・・」と思いながらも立ち止まったら負けだと思い、無理やり走ることも多かった。

当時は1回6キロほどのランニングを週に1.2回重ねていた。

しかしそんなやり方で長続きするわけがなかった。しんどくて、たいした楽しくないことを継続してできる人間は少ない。

それでも意地になって走っていると、無理がたたったのか12月の大晦日に風邪をひいてしまった。そして同時に膝も痛めた。(筋肉不足による故障)

この12月を契機に、私のランニング熱は完全に冷めてしまった。
結果的にその後、走行距離は目に見えて低下し、3.4月は全く走らなかった。
ランニング開始からたった半年しか経過していなかった。

5月~2020年1月 

図2.月別走行距離(2019年5月~2020年4月)
図2は、2019年5月~2020年4月までの走行距離である。

走行距離がゼロの怠惰極まる3、4月を経て、5月からぼちぼちランニングを再開していることがわかる。きっかけは思い出せない。

この図2からは、当時の私のランニングへの向き合い方はかなり不誠実で、気まぐれだったことがわかる。

この時期は、たまに走っても慣れてないため息が切れ、しんどいから自然と回数・走行距離は減っていく、そんな悪循環にはまっていった。

この悪循環には2020年の1月までどっぷりとはまっていた。
半ば義務感でランニングを継続していたように思う。

当時はランニングをする目的、意味、スタンス、すべてが曖昧だった。

気まぐれ走り→転機が

そんな折に転機が訪れたのが2月のことだった。
当時私は仕事が忙しく、しかも大きな問題も抱えていて、その解決策も浮かばない状況だった。
休日に家でアイデアを考えていても浮かばず、時間だけが過ぎていった。
焦燥感は募るばかりで、このままではだめだ、けれどやる気も起きない。

そんな時にふとランニングをしようと思った。走ることは特別好きだったわけではなかったが、走りたいと思った。

アメリカでは過去に3回のランニングブームが起こったという。
人がいちばん走るのは、状況が最悪に思える時だ。アメリカではこれまでに3回、長距離走の人気が急上昇した。いずれも国家的な危機のさなかである。最初のブームが起こったのは大恐慌時代で、(中略)ランニング熱はやがて収まったが、2回目は70年代前半に再び火が付く。ベトナム戦争、冷戦、人種暴動、大統領の犯罪、敬愛された3人の指導者の暗殺からアメリカが回復しようともがいていた時代だった。
では、3回目の長距離ブームは?9月11日のテロ攻撃の1年後、突如としてトレイルランニングがアメリカでもっとも急成長したスポーツとなった。
(出典:「BORN TO RUN」p.18 クリストファー・マクドゥーガル )
人は不安になると走り出すようで、私も例外ではなかった。

最初は最悪の気分でランニングを開始した。
けれど、走っていくうちに体の緊張が取れ、規則正しいリズムを刻んでいくと、少し晴れやかな気分になった。懐かしい感覚だった。

しばらくランニングを続けると、今自分が抱えている問題に対しての解決策のかけらがふと脳裏に浮かんできた。
降りてきた、といったほうが適切と思える感覚だった。
その日から、なにかに行き詰まことがあれば、ランニングをするようにしている。

気が付けば悪循環から抜け出していた。

身体能力の変化

図3.ランニング開始から現在までの月別走行距離
図3は、ランニングを開始した2018年9月~2020年3月までの走行距離一覧表である。

この図からは、私はランニング開始から現在までで、累計350.4㎞走ったことがわかる。

前述の通りかなり不真面目に走ってきたわけだが、しかしさすがにこれだけ走ると身体能力にも変化が起きたと感じている。

今回は①約1年前(2018年11月)現在(2020年3月)のランニングをモデルケースとして抽出し、比較を行い身体面の変化を見ていく。

ランニングデータ比較

約1年前(2018年11月) 10キロ
図4.2018年11月


現在(2020年3月) 12.4キロ

図5.2020年3月
図4.5を比較すると、まず純粋に1キロ当たりのペースが上がっていることがわかる。
また、平均ピッチも①の164spmに対して、②では169spmに上昇している。
②の時期は無理してまできついペースを維持することはしていないため、楽に走っても数字上ペースが速くなっている。=身体能力が上昇している。ことがわかる。

エンジョイだけでも成長は可能

このデータから読み取れるのは、無理して走ったり、特別な練習をしなくても、
走りたいときにゆるく走るだけで身体能力の向上は認められる。ということだ。

私はこれまでのランニングを通して、目に見えて以前より疲れなくなったし、
落ち込んだり悩んだりしすぎることがなくなった。ほかにもさまざまなメリットを
享受している。

まとめ

ここまでで私の今までのランニングを振り返ってきた。

なんとなく続けてきたランニングによる自分の成長を振り返ることができ、
まずは安心の感情がある。
走った分だけ結果として帰ってくるのがランニングのいいところだ。
これからは大会などの目標を設定して取り組むのもよいかと考えている。

ちなみに、マイルールや課題を設定して目標を立てて走ったほうが成長速度は速いと思う。
しかしそれは、ランニングという行為と自分なりに向き合えるようになってから
良いのではないかと個人的に感じている。

よくわからないままに自分ルールに縛られると、手段が目的化して目の前がぼやけてしまうからだ。
楽しいから走る、これがまずは大事だと思う。

私見 今後の疑問

私がここまで抱いた感情は、走るという行為は、人間の動物的本能の開放なのでは、ということだ。

例えば小さな子供は楽しければ走り回るし大笑いするし、
怒ったときや悲しいときは激情にまかせて泣いたりわめきちらす。

しかし大人になるとどれだけ感情が動いても体までは動かないことが多い。

ここに動物としての矛盾が生じる。

走るという行為は、人間という動物の限界をフィジカル的に直接確認する作業でもあり、ここに人間がランニングのとりこになる理由の一端があるのではないかと考えている。

また機会があれば別の記事で追記できればと思う。

自己紹介

自分の写真



持久力皆無の圧倒的ファンランナーの管理人が、ランニングに係る情報を発信しています。

ネタが無いときはほぼ日記帳として活用しています。
◆2018年9月:ランニング開始

検索

QooQ